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江戸時代は歯治療=抜歯だった!?あの松尾芭蕉も歯トラブルに悩まされていた

2017年11月20日 (月)
江東区の観光地として知られる、江東区芭蕉記念館は毎年多くの観光客が訪れます。松尾芭蕉とその芭蕉が愛した俳句にも親しめる記念館です。
今回はこの記念館とともに松尾芭蕉を知りながら、芭蕉が生きた江戸時代に人々がどのような歯の治療をしていたのかについても詳しく見ていきましょう。

松尾芭蕉ゆかりの地にある江東区芭蕉記念館

江東区芭蕉記念館は地下鉄・森下駅から徒歩約7分、松尾芭蕉が住んだ芭蕉庵があった深川に昭和56(1981)年に開館しました。記念館のある土地は大正6(1917)に「芭蕉遺愛の石の蛙」が出土し、翌年東京市により「芭蕉翁古池の跡」に指定されました。
政治家であり俳人や芭蕉研究家としても知られる、真鍋儀十コレクションを中心に芭蕉や俳句の資料を収蔵、展示。年数回の企画展も行い芭蕉を多面的に紹介しています。平成7(1995)年には分館も開館しました。

■江東区芭蕉記念館
〒135-0006東京都江東区常盤1-6-3(本館)
電話:03-3631-1448
ホームページ:https://www.kcf.or.jp/basho/
開館時間:9:00~17:00・第2、4月曜日休館

俳聖と呼ばれる松尾芭蕉はどんな人物?

俳聖と呼ばれる松尾芭蕉はどんな人物?
俳句の創始者であり俳聖とも呼ばれる松尾芭蕉は、正保元(1644)年に伊賀国(現三重県)に生まれました。若いころは藩主・藤堂家に仕え、30代で藩の仕事で江戸に出て、後に俳諧師の道を進むことになります。
死後の元禄15(1702)年に刊行された『奥の細道』は江戸時代を代表する文学のひとつです。俳諧の一派の蕉門を開き多くの門人を育て、元禄7(1694)年に大阪の地で没しました。

松尾芭蕉の著書は多くあります

松尾芭蕉の代表作というと筆頭は『奥の細道』ですが、他にも多くの著書を残しています。
延宝8(1680)年に弟子との俳諧を記した俳諧書『桃青門弟独吟二十歌仙』で注目されます。その後、貞享2(1685)年ごろには『野ざらし紀行』、同4年には『鹿島詣』、元禄元(1688)年ごろには『更科紀行』と俳諧紀行を刊行し、『奥の細道』は集大成だったのです。俳諧書としては後に「俳諧七部集」として編集される7冊があり、ことに元禄4 (1691) 年刊の『猿蓑』は有名です。

松尾芭蕉『奥の細道』の代表句5選

不朽の名著ともいわれる『奥の細道』から松尾芭蕉の代表句を5句紹介します。

●古池や蛙飛びこむ水の音
●閑さや岩にしみ入る蝉の声
●五月雨をあつめて早し最上川
●夏草や兵どもが夢の跡
●荒海や佐渡によこたふ天の河

これらの他にも多くの知られた名句があります。

俳句はどんな文芸か?

松尾芭蕉『奥の細道』の代表句5選
俳句は五七五という短い言葉で表現する定型文芸で、無季もありますが基本的に季語を入れます。俳句と俳諧は異なり、俳諧のはじめの句、発句を独立したのが俳句です。
俳諧は複数で座をつくり行い、室町時代の終わりごろから始められ、興隆期の人物としては山崎宗鑑が知られます。江戸時代には庶民に広がり、松尾芭蕉が発句を独立したのが俳句のはじめです。
しかし、俳句という言葉が正式に使われたのは明治20(1887)以降、正岡子規によります。子規の死後、高弟の高浜虚子が、俳誌「ホトトギス」を元に俳句を広め、同じく高弟の河東碧梧桐は荻原井泉水とともに詩型や季語にとらわれない自由律俳句を展開しました。その後、紆余曲折を経て、現在は日本だけでなく海外でも多くに愛される詩型です。

松尾芭蕉も歯のトラブルの悩まされた

松尾芭蕉はひどい痔に悩まされ、胃のけいれんや痛みもあったことが、書簡などに記されています。死因にもつながったとの説もあり、痔は芭蕉の持病として知られています。
しかし、芭蕉が歯のトラブルにも悩まされていたことは、あまり知られていません。芭蕉は46歳の時、「結びよりはや歯にひびく泉かな」という句を詠んでいます。水を口に含むとすぐ歯に沁みるというのだから、かなりひどい虫歯か歯周病だったのかもしれません。
さらに2年後の48歳の時には、「衰えや歯に食いあてし海苔の砂」と詠んでいます。ここから虫歯か歯周病が悪化したことが読み取れます。

虫歯治療の歴史を紐解くその1「江戸時代以前」

世界でも日本でも先史時代に抜歯は行われていました。古代エジプトやギリシア、8世紀の中国では歯の詰め物が行われた証拠もありますが、それはごく限られた特権階級だけです。弘安2(1279)年には、日本で初の歯科医が記録されています。抜歯を専門とする職が現れたのは、ヨーロッパでは14世紀ごろ、日本では江戸時代に入ってからです。

江戸時代はどのように虫歯治療を行っていたのか

虫歯治療の歴史を紐解くその1「江戸時代以前」
古代から18世紀までは虫歯は歯を食べる小さな虫が原因と一般に考えていました。江戸時代の人たちもそのように考え、庶民の治療は抜歯しかなかったのです。江戸時代には口中医と呼ばれる歯医者がいました。
口中医は一定の当時の医学を修め抜歯や口腔の治療をし、それとは別に入歯をつくる口中入歯師がいました。
口中入歯師は江戸中期には庶民にも広がりましたが、口中医は武家や裕福な者だけを診察し、庶民の治療をしたのは歯抜師です。医療知識もない抜歯にたけた人で、麻酔もなく抜歯するのだから、痛さは相当なものだったでしょう。居合の達人の香具師も抜歯を行っていた記録もあります。

虫歯治療の歴史を紐解くその2「近代」

本格的な虫歯の治療はヨーロッパでは18世紀初めごろ、日本では幕末から明治時代にかけて。天保11(1840)年に長州藩医学所に口中科が設けられ、万延元(1860)年には外国人による歯科医院が横浜で開かれます。
明治7(1874)年にはじめて実施された医術開業試験に口中科が設けられ、それ以降虫歯治療が本格化します。

まとめ

江東区深川は松尾芭蕉ゆかりの地で、江東区芭蕉記念館があります。それにちなんで今回は松尾芭蕉と芭蕉が創始した俳句についてご紹介しました。松尾芭蕉も悩まされていた歯のトラブルと江戸時代などの虫歯治療の歴史はいかがでしたでしょうか。
今も昔も歯のトラブルは悩みの種ですね。江東区の池田歯科クリニックでは最新の技術で虫歯や歯周病をはじめとした歯の治療を行っています。歯のトラブルなどお悩みの方はぜひご相談ください。

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